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東京地方裁判所 昭和55年(刑わ)3515号 判決 14609年 11月 22日

主文

被告人を禁錮八月に処する。

この裁判の確定した日から二年間、右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(認定事実)

一被告人の経歴及び本件に至る経緯

被告人は、昭和四〇年三月本籍地の高校を卒業後、同年四月日本国有鉄道に入り、東京鉄道管理局新鶴見機関区で整備係、機関助士を経て、昭和四五年九月関東鉄道学園電車運転士科に入所し、翌四六年一月同科を修了すると同時に、同局東神奈川電車区に電車運転士見習として配属され、昭和四七年四月同電車区電車運転士に昇格した後、同年七月から千葉鉄道管理局津田沼電車区に転配となり、以後同電車区において電車運転士として総武線及び中央線の電車運転の業務に従事していた者である。

被告人は、昭和五五年一〇月一七日午前六時二〇分ころ津田沼電車区に出勤し、総武線津田沼駅午前七時二二分発の第六〇〇B電車を同駅から千葉駅まで運転後、折返し、千葉駅発中野駅行第七〇七C電車(一〇両編成)に乗務して、同日午前七時五七分に定時に千葉駅を発車したが、途中総武線新小岩駅を通過したころから先行電車の渋滞のため遅れ始め、中央線大久保駅には定時より約一〇分遅れて到着した。

同日午前九時二二分ころ、被告人は、右大久保駅列車停止目標識横の地点(東京駅起点から1万1630.8メートル)で出発信号機の青色信号を確認の上、主幹制御器を四ノッチに投入して同駅を発車し、時速が約四〇キロメートルに達したところでノッチを四から零に戻して惰行運転に移り、下り第二閉そく信号機喚呼位置標(同駅起点から1万1785.6メートル)付近で、前方の下り第二閉そく信号機(同駅起点から1万2007.6メートル)が、さらに前方の下り第一閉そく信号機(同駅起点から一万二三九一メートル)が赤色の停止信号を現示していることを意味する黄色の注意信号を現示しているのを認めたが、前記速度のまま進行を続けていたところ、下り第一閉そく信号機のATS警報点(同駅起点から1万1897.6メートル)付近において、前方の前記第一閉そく信号機からその先の東中野駅場内信号機(同駅起点から1万2662.3メートル)までの区間において先行電車が停止もしくは進行していることを知らせるATS車上装置の警報器が鳴動した。被告人は、これを受けて、直ちに直通ブレーキを三キロ圧(一平方センチメートルあたり三キログラムの圧力との意。以下同じ。)かけるとともに、ATS車上装置の確認ボタンを押し、やがて自車が時速約二五キロメートルにまで減速したのを認めた上、右ブレーキを緩解してそのまま進行を続けていたが、同所付近は、下り勾配標識のある地点(同駅起点から1万1901.2メートル)から438.4メートルにわたつて一〇〇〇分の二五の下り勾配になつていたため、徐々に自然加速し、前記第二閉そく信号機を時速約二七、八キロメートルで通過し、下り第一閉そく信号機の喚呼位置標(同駅起点から1万2208.55メートル)を通過するころの時速は約四〇キロメートルに達していた。

二罪となる事実

被告人は、電車運転の業務に従事していた者であるが、昭和五五年一〇月一七日午前九時二二分ころから、前記第七〇七C電車を運転して中央線下り緩行線上を大久保駅から東中野駅に向けて走行中、下り第一閉そく信号機の喚呼位置標(東京駅起点から1万2208.55メートル)を時速約四〇キロメートルで通過する際、前方約一八二メートルの地点の下り第一閉そく信号機(同駅起点から一万二三九一メートル)が停止信号を現示しており、かつ、東中野駅場内信号機の現示する停止信号に従い停止していた上林義典運転の中野駅行第八四一B電車(一〇両編成)の最後部が右下り第一閉そく信号機の内方(東中野駅寄り)にあるのを認めたが、同所付近は下り勾配標識のある地点(同駅起点から1万1901.2メートル)から438.4メートルにわたつて一〇〇〇分の二五の下り勾配になつており、その影響で電車の速度が加速されることが明らかであるから、このような場合、電車運転者としては、右信号機の現示に従い、その外方において確実に停止することができるよう、右下り勾配による加速の点をも考慮に入れた的確なプレーキ操作により、適宜減速ないし徐行するなど、速度を調節しつつ進行し、もつて先行電車との衝突その他電車往来の危険発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、右下り勾配による加速の程度を十分に考慮することなく、その場でいつたん直通ブレーキを二キロ圧かけて若干減速させたのち、間もなくこれを緩解し、以後、何らの減速措置をもとらないまま自車を進行させた過失により、自車をしだいに加速させ、時速約三五キロメートルを超える速度で先行電車の後方約八〇ないし九〇メートルの地点まで接近するに至らせたため、同地点で、先行電車の直近後方に停車すべく直通ブレーキを常用やや強めの3.5キロ圧かけて減速しようとしたところ、所要の程度の減速を得ることができず、先行電車に追突する危険を感じて急遽直通ブレーキを4.5キロ圧とし、さらに非常用ブレーキをかけたが及ばず、同日午前九時二五分ころ、東京都新宿区北新宿三丁目二七番地二号先線路上の前記第一閉そく信号機内方約41.25メートルの地点(同駅起点から1万2432.25メートル)において、自車の最前部を右停止中の先行電車最後部に追突させ、よつて電車往来の危険を生じさせるとともに、その際の衝撃等により、別紙第一の被害者一覧表記載のとおり、両電車の乗客高橋幸恵外一二名に対し、同表記載の各傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(事実認定の補足説明)

一衝突地点について

本件において、被告人運転の電車(以下「追突電車」という。)が判示先行電車に追突した地点、喚言すれば衝突時において停止していた右先行電車の最後部の位置は、次項以下において述べるところの基準となるのであるが、司法警察員真島昭作成の昭和五五年一〇月二五日付実況見分調書にあらわれた黄色塗膜片(先行電車又は追突電車の車体から本件衝突の衝撃によつて剥落したと認められるもの)の線路への付着状況及び前照灯等の破片(先行電車最後部及び追突電車最前部に設置されていて、本件衝突により破損したと認められるもの)の散乱状況、並びに本件衝突から両電車が停止するまでの状況に関する追突電車の車掌小田雅裕の検察官に対する供述調書及び先行電車運転手上林義典の司法警察員に対する供述調書の各供述記載及び司法警察員山浦充夫作成の昭和五五年一一月二九日付実況見分調書にあらわれた本件衝突後における先行電車最後部の停止位置が東京駅起点1万2437.05メートルの地点であることを総合して、判示のとおり、下り第一閉そく信号機内方(東中野駅寄り)41.25メートルの地点(東京駅起点1万2432.25メートル、衝突後における前記先行電車最後部停止位置より約4.8メートル大久保駅寄りの地点)付近であると認定する。

弁護人は、本件衝突地点は下り第一閉そく信号機内方三五ないし四〇メートルの地点であると主張し、本件で取調べた運転局保安課作成名義の「運転事故通報」と題する書面中には、一部右にそう記載も見受けられるけれども、これをもつて前示認定をくつがえすに足りない。

二本件衝突直前、被告人が停止のため、常用やや強めの直通ブレーキ(3.5キロ圧)をかけた地点について

関係各証拠によれば、判示のとおり、被告人は、下り第一閉そく信号機喚呼位置標付近を通過する際、下り第一閉そく信号機の現示する停止信号及び先行電車を認め、二キロ圧の直通ブレーキをかけたのち間もなくこれを緩解し、ついで3.5キロ圧の直通ブレーキをかけたことが認められるところ、右3.5キロ圧の直通ブレーキをかけた地点がどこであるかは、後述のとおり、その地点における追突電車の進行速度を認定する上で重要であるから、検討を加える。

被告人は、右地点として、昭和五五年一〇月二七日本件事故現場で実施された実況見分において、L勾配標識から大久保駅寄り約1.4メートル(前示衝突地点即ち先行電車最後部まで約94.05メートル)の地点を指示し(司法警察員辻本良介作成の同年一一月四日付実況見分調書)、さらに同年一〇月三一日実施の実況見分において、前示下り第一閉そく信号機から大久保駅寄り約47.25メートル(前示衝突地点まで約88.5メートル)を指示(司法警察員辻本良介作成の同年一一月一日付実況見分調書)、他方、捜査段階においては、ほぼ一貫して、先行電車最後部から八〇メートル(被告人の検察官に対する昭和五五年一〇月二五日及び同月二六日付各供述調書)あるいは七、八〇メートル(被告人の検察官に対する同年一一月二日付、同月四日付及び同月一四日付各供述調書)の地点と供述し、当公判廷においては、先行電車最後部から七、八〇メートルの地点と供述しているところ、他に直接的な証拠はなく、右のような被告人の指示、供述に基づいて推認するほかない。

ところで、右の各実況見分のうち、昭和五五年一〇月二七日の分は、本件事故発生に比較的近い時点において線路上で実施されているものの、夜間に徒歩で行われているため、見通し、あるいは距離の目測等については不適当な状況下であつたというべきであり、従つて、その際における被告人の右地点に関する指示説明には必ずしも多大の信を措き難いと考えられる。これに対し、同年一〇月三一日の分は、やや遅れて行われており、被告人の指示説明は線路外の機動隊用指揮台上からなされているなどの難点もあるけれども、昼間になされており、かつ、右指揮台は線路上の電車の運転台の高さに近い高さに設定され、その視界が広く、被告人は、右台上から広範囲の地物、地形を総合的に観察した上、これらを基準として指示地点を特定していると認められること等にかんがみ、後者の実況見分における被告人の指示地点が、より真実に近いと解して差支えないと思われる。

また、被告人の前記各供述については、いずれも、被告人が、走行中に運転席から目測した先行電車最後部までの距離を想起してなされたものであるところ、一般に、視認による絶対距離の判断は、水平距離において過小視される傾向にあることが知られている上、被告人の右目測は動態視力によるものであつて、静止視力による場合に比し、その正確さは一段と劣るとすべきであることをも考慮すると、右各供述中、先行電車最後部までの距離を七〇メートル程度とする部分は必ずしも措信できず、約八〇メートルとする部分を採用すべきものと考えられる。そして、以上の考察の妨げとなるような証拠は存しない。

このような観点から、被告人が3.5キロ圧の直通ブレーキをかけたのは、先行電車最後部(即ち前記衝突地点)から八〇ないし九〇メートル手前(大久保駅寄り)の地点(東京駅起点1万2342.25メートルないし1万2352.25メートル)と認定する。

この点に関する弁護人の推論の根拠及び過程には問題なしとしないけれども、その結論は右と同旨に帰し、正当とすべきである。

三右地点における追突電車の進行速度について

1  被告人は、右地点における追突電車の進行速度につき、捜査段階において、当初は時速二〇ないし二五キロメートルと供述していた(被告人の検察官に対する昭和五五年一〇月二五日付及び同月二六日付各供述調書)が、その後は時速約三五キロメートルとし(被告人の検察官に対する同年一一月二日付及び同月四日付各供述調書)、あるいは時速約三〇ないし三五キロメートルと供述している(被告人の検察官に対する同月一四日付供述調書)ところ、これらはいずれも衝突後における追想的推測であつて、運転当時に、運転席の速度計その他の計器により確認したものではない。もつとも右一一月二日付調書以降の調書にみられる速度は、被告人が、本件事故直前、下り第二閉そく信号機を通過する際、速度計によつて確認した速度である時速三〇キロメートルを基準とし、日ごろの運転経験に基づいて、順を追い、下り勾配による加速等をも考慮に入れて、下り第一閉そく信号機喚呼位置標付近では時速約三五キロメートル、二キロ圧ブレーキを緩解した時点においては時速約二五キロメートルの各速度になつていたものと推算した上、それ以後に時速約一〇キロメートルの加速があつたものとして、これを合算した結果であり、一応信頼することができるもののようにも思われるけれども、所詮、客観的根拠に乏しい推測に推測を重ねたものに過ぎず、たやすくそのすべてを採用することはできない。また、被告人は、当公判廷において、右地点での速度は、時速二五キロメートルないしこれを若干上回る程度であつた旨の供述をするが、他方二キロ圧の直通ブレーキを緩解したのは時速二五キロメートル以下に速度が落ちたと考えたからであるとも供述しており、これらの供述によれば、右直通ブレーキ緩解後九〇メートル以上も追突電車が惰行走行しているのに、下り勾配の影響による速度増加が殆んど見られない不合理があることとなるから、右地点での速度についての被告人の当公判廷における供述は、被告人の当時の認識を示すものとしては格別、これをもつてただちに真実の速度を示すものとすることはできない。

2  一方、被告人の当公判廷及び捜査段階における供述によれば、大久保駅出発後、本件衝突までの間に、被告人は三回速度計を現認しているのであつて、その地点及びその際の走行速度は、(イ)大久保駅出発後約一五〇メートル進行して、いわゆるノツチオフにした地点での時速約四〇キロメートル、(ロ)下り第一閉そく信号機のATS警報点において警報を受け、三キロ圧の直通ブレーキをかけた後、約五〇メートル走行してブレーキを緩解した地点での時速約二五キロメートル、及び(ハ)その後下り第二閉そく信号機を通過する際の時速約三〇メートル(但し、この速度については、被告人は当公判廷では時速約二七、八キロメートルと供述する。)ということになるのであるが、これらについては、一応客観性のある根拠に基づく供述であり、また特に作為の跡も見られないので、以下の考察にあたつて、基準とするに支障はないものと考えられる。

3  ところで、本件で取調べた国鉄千葉鉄道管理局運転部電車課市川専太郎作成の「一〇一系電車六M四T空車及び一〇%乗車時のブレーキ距離算出について」と題する書面(以下、「市川書面」という。)によれば、東京駅起点一万一九五一メートルの地点(前記(ロ)の地点にほぼ対応する。)における本件追突電車の速度を時速二五キロメートルとし、以後惰行運転に移つたとして、本件下り勾配による加速をも考慮に入れながらその後の進行速度を計算すると、同駅起点一万二〇一一メートルの地点(下り第二閉そく信号機のある地点、即ち前記(ハ)の地点にほぼ対応する。)では時速27.23キロメートルとなり、同駅起点一万二二〇九メートルの地点(下り第一閉そく信号機喚呼位置標の地点に相当する。)では時速40.5キロメートルとなることが知られる。

右の結果と、上来掲記の被告人の供述とを対比すると、右(ハ)の地点における計算時速は、被告人の供述するところとよく符合する反面、下り第一閉そく信号機喚呼位置標付近のそれと被告人供述との間には、かなりの差異が存するのであるが、右(ハ)の地点における速度についての被告人の供述は、前記のとおり、速度計を現認したところによるものであるから、これが右計算結果と符合することは、右供述及び計算結果がいずれも信用すべきものであることを示すということができる一方、下り第一閉そく信号機喚呼位置標付近での速度に関する被告人の供述は、前述のとおり客観的根拠に乏しい推測に基づくものであつて信用し難く、右計算結果である時速約四〇キロメートルが真実に近いとするのが相当である。

そこで下り第一閉そく信号機喚呼位置標通過時点の本件追突電車の進行速度は、判示のとおり、時速約四〇キロメートルと認定する。

4  次に、被告人は、判示のとおり、右喚呼位置標付近を通過し、停止信号及び先行電車を認めて、減速のため二キロ圧の直通ブレーキをかけた後、これを緩解しているので、この緩解の際における追突電車の進行速度につき、検討する。

右二キロ圧の直通ブレーキをかけた区間、すなわちこれを緩解するまでの走行距離に関しては、被告人の指示、供述のほか、拠るべきものがないのであるが、捜査段階及び公判段階を通じ、これらの間に若干の変遷があるところ、昭和五五年一〇月二七日施行の実況見分に際しての指示によれば、右走行距離は28.4メートルとなるけれども、右実況見分には前述のとおり、夜間に徒歩で行われたなどの難点があるから右の距離は採り難く、三、四〇メートルとする供述もあるけれども概括的に過ぎ、結局、被告人の当公判廷における供述及び検察官に対する昭和五五年一一月一四日付供述調書にあらわれており、被告人にとつて最も有利であると解される四〇メートルを基準として考えると、要するに、追突電車が時速四〇キロメートルで走行中、二キロ圧の直通ブレーキをかけ、約四〇メートル進行した時の速度を求めるべきこととなる。

そこで、これを前記のとおり考察の基準とするに足りると認められる(イ)及び(ロ)の被告人の現認した速度により、(イ)地点で時速四〇キロメートルであつた追突電車が、(ロ)地点で三キロ圧の直通ブレーキをかけて後、約五〇メートル走行した時の速度が二五キロメートルとなり、時速一五キロメートルの減速を生じたことと対比し、しかも、この場合には、全長二〇〇メートルに及ぶ追突電車のうち、かなりの部分がいまだ本件一〇〇〇分の二五の下り勾配部分にさしかかつておらず、これによる加速の影響が全面的にはあらわれていなかつたのに対し、右ブレーキ緩解時には、全車長が右下り勾配上にあり、その影響があらわれていたはずであることをも考えあわせると、右ブレーキ緩解時までに時速一〇キロメートルを超える減速が生じていたとはとうてい考えられないのであつて、右時点における追突電車の進行速度は、少なくとも時速三〇キロメートルを下らないものと推認するほかはない。

被告人は、前述のとおり、右時点の進行速度を時速約二五キロメートルであつたと供述するが、これは、下り第一閉そく信号機喚呼位置標付近を通過した際の速度が時速約三〇ないし三五キロメートルであることを前提とする推測であり、右前提が正当でないことは既に述べたとうりであるから、被告人の右供述を採ることはできない。

5  そうして、右速度を前提とし、前記市川書面記載の方式により、判示常用やや強めの直通ブレーキ(3.5キロ圧)をかけた地点における本件追突電車の進行速度を算出すると、時速約三七キロメートルの結果が得られ(別紙第二参照)、この数値は客観的根拠に基づくものとして十分信頼するに足りるものというべきであるが、基礎的数値がある程度概数であることによる誤差をあわせ考え、右進行速度を時速約三五キロメートルを超える速度と認定する。

これに対し、弁護人は右地点における追突電車の進行速度は時速約三二キロメートルであつたと主張するが、その根拠とするところは、第一に、追突電車は先行電車の最後部から八〇ないし九〇メートル手前で3.5キロ圧の直通ブレーキをかけたにもかかわらず、これに衝突したものであるところ、3.5キロ圧の直通ブレーキをかけた場合の制動距離から逆算すると、このような衝突の発生する制動初速は、時速三〇ないし三五キロメートルであること、第二に、下り第一閉そく信号機喚呼位置標通過直後に二キロ圧の直通ブレーキをかけ、ついで約五〇メートル走行してからこれを緩解した際の追突電車の速度は時速約二五キロメートルであつた旨の被告人の供述が真実にそうものであることを前提とし、これが前記下り勾配により加速される場合、右地点において時速約三二キロメートルになる計算であること、である。

しかしながら、右第一の推論は、3.5キロ圧の直通ブレーキがかけられた地点から衝突地点までの距離そのものを制動距離とする制動初速を求めたものであるから、本来、右ブレーキの効果のみによつて(即ち本件衝突のないまま)追突電車が停止するのに要する距離を制動距離とすべきであることを看過している点、及び、本件において追突電車の衝突前にかけられた4.5キロ圧の直通ブレーキ及び非常用ブレーキの各効果を無視している点において二重の誤りを犯しているというべく、また、第二の推論は、二キロ圧直通ブレーキ緩解時の追突電車の速度は、前述のとおり、時速約三〇キロメートルを下廻ることはないものとすべきであるのに、これを時速約二五キロメートルとする点において既に前提を誤つており、失当とせざるを得ず、いずれにせよ、弁護人の右主張は採用できない。

(弁護人の主張に対する判断)

一弁護人は、本件事故の原因は、被告人が先行電車の手前約八〇ないし九〇メートルの地点で停止のためブレーキをかける際、自車の速度が実際には時速約三二キロメートルであつたのに、時速二五キロメートルをさして上まらないと誤認したため、常用やや強めのブレーキ(3.5キロ圧)という不十分なブレーキ操作に終つたことにあるものとした上、(1)被告人の右速度についての誤認は、その差がわずか時速七キロメートル程度のものであるにとどまること、(2)時々刻々に変化する電車の進行速度を各時点で一瞬のうちに的確に判断することを可能ならしめるような訓練が国鉄の電車運転士に対して行われているわけでもないから、被告人にそのような判断を期待するのは不可能を強いるに等しいこと、(3)特に本件で問題となる衝突直前における追突電車の速度変化は、下り勾配による加速のため、文字どおり加速度的に発現したのであつて、的確な速度判断を期待することはなおさら無理であること、(4)加えて本件では被告人が3.5キロ圧の直通ブレーキをかけた際、同ブレーキが基準値どおりには機能せず、かつ、電気ブレーキも立ち上がらなかつたもので、かかる事態がなければ、その後のブレーキ操作と相俟つて本件衝突は十分に回避できたはずであること、などを考えあわせると、被告人の追突電車の速度に関する右誤認は、被告人に対し刑事過失を問うほどの重大な落度であつたとはいえないと主張する。

しかしながら、右主張は、判示のとおり、時速約三五キロメートルを超えるとすべき停止ブレーキをかけた際における追突電車の進行速度を時速約三二キロメートルであつたとする点において既に失当であるばかりでなく、(1)の点については、その差が時速約一〇キロメートル以上となるので無視できるような程度とはいえず、(2)の点については、電車運転士が自車の速度を調節するためには、常に各時点における絶対速度を瞬時に判定しなければならないものとはいえないし、(3)についても、下り勾配による加速の相対的認識は、下り勾配標識の存在、線路状態の視認、体感速度の増大により即時に可能であつたとすべきであり、(4)についていえば、指摘のように直通ブレーキが基準値どおり働かず、電気ブレーキが立ち上がらなかつたとしても、それは、これらのブレーキに内在する特性にほかならず、本件追突電車の各ブレーキに故障があつたわけではなく、その作動は正常の範囲内にあつたことが証拠上明らかであつて、被告人としては、このような特性を有するブレーキを的確に操作し、指摘されるような事態に立ち至ることのないよう、あらかじめ速度を調節すべきであつたのであり、本件において被告人に問われる過失は、まさにこの点に存するのである。

二弁護人はまた、(1)下り勾配による電車の加速の程度に関して、電車運転士に格別の教育ないし訓練は行われておらず、(2)被告人自身も、従前、本件下り第一閉そく信号機付近でその運転する電車を停止させた経験は全くなく、さらに、(3)本件一〇〇〇分の二五の下り勾配が追突電車の進行速度に与える影響は、その列車長が約二〇〇メートルであるから、勾配の始点付近では一部しか現れず、列車全長が勾配に差しかかつてのち、即ち約四四〇メートルの勾配の半ば近くまで列車最前部が進行してから、はじめて全面的に発現するのであつて、従つて、(4)列車最前部の運転席にいる被告人にとり、右下り勾配標識地点から下り第一閉そく信号機喚呼位置標付近までの間、約三〇〇メートル余を運転して得られた加速度感は、右影響の程度を判断する上で参考とするに足りず、結局、(5)被告人には、右下り勾配による加速の程度を予測することは不可能であつた、と主張する。

弁護人が右(4)(5)の主張の前提とする(1)ないし(3)の点は、関係各証拠により認めることができる。

しかしながら、同時に、被告人は、本件事故の当時、現場付近が下り勾配であり、かつ、それは一〇〇〇分の二五くらいの急な勾配であることを認識していたばかりでなく、日ごろ現場付近を繰返し運転していた経験から、右下り勾配により電車が加速されること及びその加速の程度を実感として把握していたことが証拠上認められ、本件現場付近の線路の状況などをも考えあわせると、数字の上で正確に加速の程度を予測することは格別、電車運転者に要請される進路前方の先行電車との衝突を回避するのに必要な限度での加速の程度の予測は十分に可能であつたというべきである。

三以上検討したとおり、弁護人の主張はいずれも採用できない。

(法令の適用)〈省略〉

(量刑の事情)

本件は、八年余にわたり国鉄総武線及び中央線の電車運転士として勤務して来た被告人が、判示当日、午前九時すぎころ、中央線下り緩行電車を運転中、前方の信号機が停止信号を現示しており、かつ、その前方に先行電車が停止しているのを認め、右電車後方に自車を停止させるべく速度調節をするにあたり、進行中の線路が下り勾配であることによる加速の程度を十分に考慮しなかつたため、ブレーキ操作に適切を欠き、予定したように自車を減速停止させることができず、先行電車に追突させ、乗客らに負傷者を出すにいたつた事案である。

同一軌道上を複数の列車が走行する鉄道において、交通の安全を確保するために最も留意すべき点は、進路前方にある列車との衝突の回避であり、その意味で、被告人は、多数の乗客の生命、身体の安全を託された高速度大量輸送機関の専門運転士として基本的な業務上の注意義務を怠つたものといわなければならない。しかも、その背景には、被告人が、前記のような停止信号の現示及びこれに対応する停止中の先行電車を認めながら、右電車はそのうち発進するものとの見込みのもとに、信号機手前での一旦停止等、安全確保のため定められている運転手順を省略し、不十分なブレーキ操作にとどめた形跡も窺われ、慣れから来た油断ないし手抜きがあつたものというべく、情状として軽視できない。さらに本件追突により、両電車の乗客一三名が判示各傷害を負つたほか、中央緩行上下線で合計二四八本の電車が運休となり、約四四万人もの電車利用者の足に甚だしい影響を与えたのであつて、結果もまた重大である。

しかしながら、他方、中央線等の国電運転土には、ダイヤの密度が高いにもかかわらず、定時運転確保の強い要請があり、本件においても、ダイヤの乱れを回復すべく先行電車との間隔をなるべくつめようとする意識が被告人の前記運転操作に影響を及ぼしており、単なる暴走等とは異なる点があるといえること、また、本件事故現場は、先行電車の停止していた場内信号機と第一閉そく信号機の間が約二七〇メートルに過ぎない短小閉そく区間であるばかりでなく、右第一閉そく信号機が一〇〇〇分の二五という急な勾配が約四四〇メートルにわたつて続いた直後に建設されているため、従前から追突事故の危険性が指摘されていた箇所であり、かつ、この付近に設けられていた保安設備(ATS―B型)は、その特性上、一定の場合に警報が鳴動しないなどの問題もあつて(もとより、当該路線を専門的に運転している電車運転者は、このような場所であることを認識熟知し、これを考慮に入れた運転操作をすべきものであること、多言を要しないけれども)、これらが本件事故の遠因をなし、被告人のみを責めるのは酷であるということもできること、幸い、本件事故の発生は、いわゆる朝のラッシュ時を過ぎたのちのことであつて、乗客も比較的少なかつたため、大惨事には至らなかつたこと、本件被害者に対しては国鉄において示談金等が支払われるなど慰藉の措置が講じられていること、被告人にはこれまで事故歴はもとより前科、前歴もなく、本件事故についても真摯に反省悔悟していると認められることなど、被告人のため斟酌することのできる事情もある。

以上の諸点の外、被告人の身上経歴、運転歴等本件に現われたすべての情状を総合して考慮し、主文のとおり量刑する。

よつて、主文のとおり判決する。

(田尾勇 中山隆夫 毛利晴光)

別紙第一、第二〈省略〉

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